本日より、関東学院大学の一員となられる皆さんを心から歓迎し、満開の桜の花と、素晴らしいお天気のもとで、「ようこそ関東学院へ」という気持ちを込めて、お祝いの言葉を申し上げたいと思います。関東学院大学の11の学部、そして大学院博士前期課程、修士課程、博士後期課程の5つの研究科に入学される合計2,859名の皆さん、ご入学おめでとうございます。

 また、本日ご臨席くださいましたご父兄の皆様、ご関係の皆様、このたびは、ご子息、ご息女のご入学、誠におめでとうございます。皆さまのお子様方が、関東学院大学で学び、立派な青年に成長していく過程を、時に背中を押し、時に叱咤激励をしていただきつつも、どうぞ温かく見守っていただければ幸いです。関東学院大学を代表いたしまして、心よりお祝い申し上げます。

 まずはじめに、大学院博士前期課程ならびに修士課程に入学される皆さんにお話しします。皆さんの多くは、関東学院大学で学士課程を終え、本学の大学院に進学されました。学部4年間の学び、特に研究室やゼミに所属された以降の、学生生活や研究活動に大いに満足されたからこそ、より一層、「学びの質を高めたい」、「より実践的な知識や技術を身につけたい」、「自分自身を高めたい」、そう希望され、進学を決意されたことと思います。4年間で、誰かに出会い、何かを知り、何かが変わって、進学を決意してくれたのなら、こんなに嬉しいことはありません。本学以外の大学を卒業された皆さんにおかれても、関東学院の研究者、研究成果、そして教育・研究の場に魅力を感じ、幾多の大学院のなかから本学を選ばれました。大いに歓迎したいと思います。

 研究者、技術者、実務家の卵として、最も実力と地力が付くのがこの二年間です。指導教員の下で、学部生ではできなかった経験を重ね、大いに研鑽を積んでください。そして常に大学に刺激を与える存在であってください。皆さんの活躍が大学を活性化させ、それが本学の研究ポテンシャルやアクティビティを高めることは言うまでもありません。さらに、学部学生が皆さんの背中を見て成長してゆく喜びを感じてください。私達もまた、皆さんが今、抱いている希望や期待、描いている将来の実現に十分に応えられるよう、指導教授としてだけでなく、研究者としても協力してゆきたいと思っています。大学院での経験を経て、皆さんの人生が大きく展開してゆくことを期待しています。

 次に、大学院博士後期課程に進学された皆さん。皆さんは、ご自身の研究生活の集大成として、或いは、若き研究者として自立するためのスタートラインとして、それぞれの研究テーマをより深く突き詰めるために、人生の貴重な期間、或いは、青春時代の最も大切な時間の、そのすべてを託しても悔やむことのない、生涯の師と仰げる指導者を見付けたからこそ、後期課程に入学されたのだと思っています。どうか何の迷いもなく、思う存分、研究に没頭する生活を送ってください。苦しい研究を、どうぞ楽しんでください。私たちもかつて院生時代に、そうした生活を送ってきました。研究者の仲間として大いに皆さんを歓迎し、応援してゆきたいと思います。

 さて、あらためて、関東学院大学に入学された新入生の皆さん。今日は、皆さんが大学生として、新しい一歩を踏み出す記念すべき日です。「大学」という新しい学び場に、「大学生」という言葉の響きに、そして何より、関東学院大学で過ごす「これからの4年間」に、皆さんはどんな希望と期待を抱いていますか。

 はじめに申し上げておきます。誰に出会うか、何を見つけるかであなたの人生は大きく変わります。皆さんが今、「夢」を持っているなら、その夢を実現するための「学び」を真剣に考えてください。「夢」と問われても思い浮かばないなら、この4年間で、それを言葉に出来るようになるためにも「学ぶこと」が重要です。ここで皆さんに申し上げたいのは、この「夢」とは、決して「将来の職業」や、ましてや「就職先」などといった、皆さんの近未来のことを指しているのではないということです。高等学校では、「なりたい職業」、「就きたい仕事」を考えて、進路選択を求められた方も多いと思います。勿論、それも現実的な一つの方法ではあるのですが、大学生になったからこそ考えるべき「夢」とは、「人としてどのように生きるのか」、「どのような社会の一員になりたいのか」、「どのように人や社会に貢献するのか」ということであり、それを求める過程で、やがて、自ずから、職業や仕事も決まってくるでしょうし、職業や仕事に関わらない「生き方」を求めることだとも言えるでしょう。少し哲学的で、抽象的なことですから、今ここに居る、殆どの新入生の皆さんは、明確に夢を語れないはずで、それを気に病む必要はありません。しかし、大いに「期待と希望」を語って欲しいし、「夢」をみつけるための努力を惜しまないで欲しいと思います。

 大学に入ってこんなことがしてみたい。大学でこんな勉強がしてみたかった。そう思えることは何でも挑戦して下さい。とにかく、前に向かって一歩進んでみる。皆さんの目の前の世界が必ず開けてくるし、一歩、進んだことによって視界が広がり、次に進みたい方向が少し変わってくるかも知れません。その可能性は無限にあるのです。皆さんはこれから、想像されているよりも遥かに沢山の経験をすることになります。将来、その経験が「素晴らしいできごと」と実感できるかどうかは、まぎれもなく、これからの、皆さんの気持ちと心がけ次第なのです。どうぞ、思う存分、「大学生としての生活」を謳歌し、大いに学び、教養と見識を深め、知識や技術を身につけていただきたいと心から願っています。

 先日、3月24日、今日と同じ、この国立大ホールにて、2017年度の卒業式が行われました。私は、その卒業式の式辞のなかで、「学び」を通して充実した学生生活を送った卒業生に対して敬意を表しました。一方で、「もし、在学中の学びを『少し疎かにした』と感じている人がいるとして、『社会に出るのを機に、心機一転、挽回しよう』と決意するのであれば、それは都合が良すぎる。今を疎かにするものにとって、挽回のチャンスはそうそう来るものではない。チャンスの到来が平等なら、それまでに努力を重ねた意味がない」卒業生を送る式辞としては少しばかり厳しい言葉でしたが、そのように申し上げました。

 高等教育機関である大学の場合、その先に見えているのは「社会」です。そこでは否応なしに、皆さんがこれから身に付けるべき力、本当の意味での「実力」で自身の将来を切り開いていかなければなりません。これは現実なのです。ですから、この4年間は、その実力をつける大切な期間だといういうことを決して忘れないでください。ただし、この大切な期間を「準備期間」と誤解してしまうと、まるで条件反射のように、次のステップである「就職」のための準備と捉えてしまい、ともすれば、就職に有利な資格や検定を探してみたり、どんな科目の勉強が社会で役立つのか、そうしたことばかりを考えてしまう、とても勿体ない学生生活になってしまいます。「本学は1年生からキャリア教育を推進しています」などといった宣伝文句に踊らされたり、騙されてはいけません。それは「準備」であって、「学び」ではありません。仮に特定の資格と直結している学部であったとしても、大学生活を就職という出口だけを意識した準備の4年間にしてよいはずがないのです。実力とは決して、少しばかり計算技術に長けているとか、プレゼンテーション能力が優れているとか、そうしたテクニックを直接指しているのではありません。勿論、それらは、社会に出てからも、皆さんの助けになることと思いますが、それよりも、大学生としての教養、見識、知性を一歩ずつ、着実に身に付け、磨くいてゆくこと、これに勝るものはないのです。それは、「この本を読んだから」とか、「この講義を受けたから」といったように、一朝一夕に身につくというものではなく、むしろ、物事に対して真剣に向き合い、知識や技術を修得しようとする継続的な行動を通して得られるものです。具体的に「どの知識」などと指し示せるものではありません。

 ただ言えることは、「学ぶ」という行動の意味、学ぶことの楽しさを感じることができたときに初めて、大学生として、その年齢に見合った見識や知性が備わり、それが皆さんの「顔」に現れてくるものだと思っています。知性は間違いなく、皆さんの態度や表情に現れるものです。皆さんは大学生として大いに知的でなければならないのです。もっと簡単に言えば、知的に変化して行く自分を「嬉しい」、「楽しい」、「心地よい」と思って下さいということでもあります。

 先ほど、「『学ぶ』という行動の意味」という少し回りくどい言い方をして、あえて「学ぶ意味」とは言いませんでした。「この学問を学ぶ意味は何ですか」、「この講義は何の役に立つのですか」などという愚問の解決に時間を費やしてはいけません。納得できる答えを得ることが出来れば、「学ぶ価値があり」と判断するけれど、納得できなければ学ばない。大学生になったのだから、自らの学びを切り開いて行くんだという誤解と過信、自己決定・自己責任というある種心地よい言葉に惑わされて、簡単に未来を捨ててはいけません。その学問が有益か、無益か、これから学ぶことがどんな価値を持つか、そこからどんな将来が開けるのか、それが分らないからこそ、学ぶ必要性があるはずです。学ぶことによって、皆さんにどのような変化がもたらされるのかは、一定程度学んでからでなければ、推し量ることは出来ないはずです。十八歳の皆さんでは計ることが出来ない価値があるからこそ、学びの意味がある。だから学びを疎かにしてほしくないのです。学ぶという行動の意義を理解して欲しいと思っています。

 もちろん、大学生活の重要な要素として、新しい友人との出会いやクラブやサークルといった課外活動なども大いに大切にして欲しいと思います。大学生になって、やりたいこと、挑戦したいことは、皆、様々で構わないし、今、例に出したような、誰もが思いつくものだけだとも限りません。学生としての見識の範囲内であれば、何にでもチャレンジできる。それが皆さんの特権ですし、それによって皆さんの大学生活は大いに充実すると思っています。ただ、そうであっても、仮に、学業以外の明確な目的があって入学したとしても、それでも「学ぶ」ということを抜きにした大学生活などあり得ないし、そこからは本当の大学生活の満足感は得られません。

 真剣に「学びたい。知識を得たい」と望んでいる学生にとって、その目的が叶うところ、真剣に「学びたい」と思う学生の目的を第一に優先するところ、それが大学なのです。「学び」に対する欲求の前では、高校までの学習歴の違いや経験値の差すら、大きな問題ではありません。私たちは最高のスタッフを揃えて、この「学ぶ環境」を最大限に大切にすることをお約束したいと思います。過激な意見に聞こえるかも知れませんが、「大学で何かを得たい」、「大学で真剣に学びたい」という学生や、それを応援しようとする大学の雰囲気に対して、もし、「ばかばかしい」と笑う学生がいるとしたら、その者は、今すぐこの大学から去るべきだと考えています。

 最後に、本学は言うまでもなく、キリスト教に基づく教育と、建学の理念と大切にする私立大学です。皆さんはこれから,関東学院の初代院長、坂田祐先生がおっしゃった校訓「人になれ 奉仕せよ」という言葉に、さまざまな場面で触れることになると思います。

「人になれ 奉仕せよ」

 キリスト者としての坂田先生の言葉の意味とは別に、高等教育機関として、この校訓にどのような意味を込めるのか、「人になれ」の「人」の定義とは、人に「なる」とは、どういうことを指すのか、そもそも何をもって「人」になれたと言えるのか、「奉仕せよ」の「奉仕」が意味することは何か。この答えが関東学院大学の教育のなかにあります。皆さんもこの意味を、ゆっくりと時間をかけて考え、皆さんなりの答えを導いて欲しいと思います。大学の4年間に留まらず、真剣に学び、身に付けた教養や知識・技術を社会に生かすべき機会は必ず訪れます。その日が来るまで、社会に貢献できる人になる日まで、学び続けて欲しい。或いは、学びは永遠に続くのだと認識するときまで、真摯に学び続ける人であってほしい。私自身は、「人になれ 奉仕せよ」をそのように理解したいと思っています。

 大学で過ごす4年間は、案外と短いものです。誰に出会うか、何に出会うかで、皆さんの人生は変わります。この期間にあなた自身がどれだけ密度の濃い学生生活を送ることができるか、そのことによって、また一つ、また一つ、皆さんの未来の扉が開いてゆくのだと思っています。私たちは、皆さんが素晴らしい未来を切り開くことのお手伝いをするつもりです。

 今日がその第一歩です。今日のこの日を祝して、あらためて、皆さんにお祝いの言葉を申し上げたいと思います。

 皆さん、ご入学、おめでとう。

関東学院大学 学長    
規矩大義(きく・ひろよし)

 



小河陽学院長の祝辞はこちらからご覧いただけます。

投稿日時:2018-4-2 15:46:00

 
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