本日ここに、関東学院大学を卒業される2,141名の皆さん。大学院博士前期課程、博士後期課程を修了される45名の皆さん。そして、専門職大学院法務研究科を修了される4名の皆さん。皆さんは、本学が定めた所定の単位を修め、卒業、あるいは修了に必要な試験に合格し、それぞれの分野における、学士、修士、博士、あるいは専門職博士の学位を名乗る資格があると認められました。関東学院大学での学びを通じて、大きく成長し、この日を迎えられた皆さんに、心よりお祝いの言葉を贈りたいと思います。卒業、修了、ならびに学位の取得、本当におめでとう。

また、本日ご臨席くださいましたご父母の皆様、ご関係の皆様。この度は、ご子息様、ご令嬢様のご卒業、ご修了、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。これまで暖かい目でお子様を見守り、あるときは励まし、あるときは背中を押し、物心両面にわたって支えて来られましたことに心から敬意を表しますとともに、今日まで私ども関東学院大学の教育理念にご賛同くださり多大なるご支援を賜りましたことを、あらためて感謝いたします。関東学院大学を代表いたしまして、ここに御礼申し上げます。長い間、本当にありがとうございました。

卒業生の皆さん。新たなスタートを前に、今、皆さんは何を思っているでしょうか。おそらくは、卒業の日が近づくにつれ、長かった学生生活を振り返ってみたことと思います。私たちもまた、皆さんと出会った4年前に、皆さんと約束したことを守ることができたのか、今振り返り、思いを巡らせています。教育機関として、教育・研究環境を充実させ学生を支援することは勿論ですが、教員として、職員として、私たちの日頃の行動を通して皆さんからの信頼を得ることができたのか、同じ学問を志し同じ夢を追いかけ、この4年間、同じ時間と同じ空間を共有してきた皆さんと、大学人として、人生の先輩として、あるいは、常に寄り添う隣人として、心を開き、お互いを認め合い、暖かい関係を築くことができたのだろうか、まずは自分自身に問いかけたいと思います。皆さんにも「学生生活は充実していましたか」と聞いてみたいと思います。「充実していた」と即答できる人に理由を尋ねると、多くは「クラブやサークル活動」「ボランティアや社会貢献」「友人関係」といった答えを返してくれます。「ゼミや研究室」、「恩師や学問との出会い」といった学びを挙げてくれる学生もいます。そのどれもが、皆さんの学生生活において、かけがえのない、大切なものだと思いますし、楽しいことばかりでなく辛いことも含めて、間違いなく「大学」を楽しんでくれたのだと思います。

では、「これ」といった具体的で誰もが分かりやすい理由がなければ、充実していなかったのかと言えば、そうではありません。「ひたすら勉強が大変だった」、「アルバイトとの両立で精一杯だった」「4年間、真面目に大学に通った」「資格が取れた」。皆、素晴らしい学生生活だと思います。「楽しかった」という、皮膚感覚にも似た思いはおそらく「関東学院大学で得たもの」を実感しているからです。人それぞれ違っても、真剣に何かを考え、悩み、立ち止まりながらも、前に進んで、今、ここにいる。その実感です。

大学生活について、少しだけ、皆さんに厳しいことを申し上げます。もし皆さんのなかに「自分は社会に出てから本領を発揮するタイプだから」とか「社会に出てからが勝負、これから挽回すればよい」と思っている人がいるとすれば、今一度、考えてください。それはあなたの特徴で、長所かもしれないが、今は口に出してはいけない。「これまでのことは一旦リセットし、心機一転がんばろう」という気持ちは分かります。でも、楽観されては困るのです。厳しい言い方だけど、そうであれば、大学で学んだ意味とは、いったい何なのでしょうか。

何度でもチャンスが巡ってくるのが人生です。しかし、その機会に甘えて今を疎かにしては、次の挽回のチャンスは巡ってこないかもしれません。「学ぶことを少し疎かにしたかな」もし、あなたが今そう感じているとしたら、そのことを悔やむ必要はありません。恥じる必要もありません。しかし、それを忘れず、いつも意識して、社会に出てからも続く「学び」を大切にして欲しい。そう思います。

ところで「大学で学んだことなど、社会で通用しない」。世間一般に「成功した」と言われる人が、マスコミを通じて、あたかも「大学教育など不要、それが現実だ」と、したり顔で話す姿を見ると、おそらくは「教科書の上で学ぶ理屈だけではダメ」とおっしゃりたいのでしょうが、私にはそのように言い放ってしまう言葉こそが、無責任な暴論に聞こえるのです。大学での学びは、不要でも、軽んじられるものでもありません。

大学は、単なる知識や技術を得るだけではなく、その根本となる思想や理論を学ぶ所ですし、実践、応用に向けた方法論や、実践そのものも学びの対象です。それにも増して、何より「学ぶこと」の意義と楽しさ、「学び続けること」の大切さ、そして、人として「教養を身に付けること」の大切さを知ることにこそ、大学の学びの本質があるのです。「大学で学んだことは通用しない」のではなく「大学で学んだ本質こそ、社会で活かすべきこと」なのです。ですから「社会では通用しない」と言われても「テクニックの問題であれば、直ぐに身に付けることができます」と反論したいと思います。しかし、大学に対して「学ぶことの大切さを教えていない」「教養を身に付けさせていない」と指摘されたときには、私たちも、皆さんも、襟を正して、真摯に反省しなければなりません。

本学の校訓「人になれ 奉仕せよ」という言葉には「いつの日か、今はまだ見えないけれど、誰かのために、社会のために、何かを実践できるように、少しでも、それに足り得る人になれるよう、謙虚に常に学び続けなさい」という意味が含まれていると私は思っています。そして真の「教養」とは、これからも学び続けることによってのみ、身に付けることができる。どうかそれを忘れないでください。

この激変する時代において、未来を生きる者となり得るのは、学び続ける人だけです。学ぶことをやめてしまった人には、過去の世界に生きる術しか残されていないからです。ですから、この「通用しない」という言葉のなかには「社会は甘くない。だから、これからも頑張りなさい」という激励の意を含んでいる。そう思いたいのです。

さて、今日ここに居られる皆さんは、4月から新しい社会でスタートを切ることになります。その皆さんにお願いがあります。これから社会に出れば、さまざまな困難に直面するでしょう。思い通りにならないことも多い。自分が何をして良いのか、何ができるのか、分からなくなることだってあります。そんなとき「この世界は自分には向いていない」と、諦めてしまうことは簡単です。「思ったような世界ではなかった」と、見切りを付けるのも簡単です。一方、まだその世界を十分に、知らないはずなのに「自分はやっていける」と勘違いしてしまうこともあります。

でも本当は、まだ何も見えてないのです。だから、最初から「こんなものだ」と決め付けるのではなく「自分は努力しなくても大丈夫だ」と慢心するのでもなく、どうかしばらくは予断を持たずに、少しばかり身を小さくかがめて、どんなことでも学び取ろうという、謙虚だけど、貪欲な気持ちで物事に挑戦してください。

ちょうど水の中で、スポンジをぎゅっと硬く絞って、いつでも水を吸い込めるように待ち構えているのと同じです。皆さんが手にしているスポンジには、知的好奇心という小さな穴を沢山、開けておいたつもりです。手のひらをそっと開けば、自ら知識や技術を吸収することができるはずです。そうした気持ちでいれば、自分が次に何をすべきか、何が出来るのか、見えてくる瞬間が必ず来ます。

それでも、自分の道に迷いが生じたときには、どうぞ遠慮することなく、大学の門をくぐり、いつでも私の、私たちの部屋のドアを叩いてください。いつだって、幾つになっても、何度でも、それができるからこそ、皆さんは、私たちの教え子であり、関東学院大学の卒業生なのです。

卒業される皆さんに、もう一つだけお伝えしたいことがあります。「言葉の大切さ」についてです。愛情を伝える甘い言葉、心温まる優しい言葉、疲れた心を癒してくれる言葉。「愛の言葉」の大切さについてお話したいと思います。

相手を目の前にして「心温まる言葉」をかければ、言葉をかけた側も、かけられた側も、お互いに優しい気持ちになって、自然とより良い関係が生まれます。逆に、聞いていて辛い言葉、批判や叱責、罵倒の言葉からは、暖かい気持ちはそうそう生まれるものではありません。それを直接ではなく人づてに耳にしたとしたら尚更です。もし皆さんが、どこかで、そのような言葉を発しそうになったときは、相手の気持ちを慮った言葉を使えるどうかで、あなたの人間力が試されると言っても過言ではありません。

一方、本当にあなたのことを心から思い、誠実に発せられた言葉であったなら、その言葉が例え、強く、鋭いものであったとしても、あなた自身にとっては、これもまた「愛の言葉」だと言えるのではないでしょうか。自分にとって都合のいいことだけを受け入れるのではなく、心が痛む批判の言葉であっても、その言葉を真正面から投げかけてくれた相手に対して、それを拒絶するのではなく「ありがたい」と思うことで、そしてまた、その言葉の真意を汲み取ろうとすることで、これもまた良好な人間関係や社会を生み出すことに繋がると思います。

ただ1つ言えることは、そのような自分を冷静に振り返り、他人を思いやる言葉や道徳的な誠実さは、決して熱狂した心理のなかからは生まれてこないということです。皆さんの心の内なる平穏、平静、均衡、そういうバランスの取れた状況、穏やかな気持ちのもとでしか、発したり聞き取ったりすることのできない「静かな言葉」なのです。だから、その言葉には、真実味があり、思いやりがあり、大きな、深い愛を感じることができるのです。

熱狂的な心理状態というのは、多くの場合、自分の技量や才能の欠如、心の不安定さの裏返しです。自分の力量から生まれる自信があれば、ゆったりとした気持ちで言葉を発することができます。だから「愛」を込めることができるのです。「言葉」はとても大切です。「黙っていても分かってくれる」そうではありません。

「どうしても言葉にできなかった」。饒舌である必要はありません。ただ、言葉にしないと伝えられないときもあります。たった一言が、あなたの周囲を幸せにすることができるのです。「直接」であっても「間接」であっても、相手を思う気持ち、「愛」を伝える、「愛」を込めることの大切さ、何度も言うと、少し照れくさいですけど、「愛の言葉」をどうか大切にしてください。それはまた、関東学院大学で学んだ校訓「人になれ 奉仕せよ」という言葉の、そのまたずっと先にある大切なものにも通じている。私には、そう思えるのです。

まだまだお話したいことは沢山あります。お伝えしたいことは幾つも残っているのですが、時間が来たようです。いよいよ自らの力で、人生を切り拓いてゆく瞬間が来ました。

これから飛び立つ皆さんは、知識や技術を活かし、教養を身に付け、未来に向け、存分に活躍していただくことは勿論ですが、それにも増して、実直に、誠実に、相手を想い、自分を想い、お互いの心をおもんばかって生きることがどんなに大切で素敵なことか、そして皆さん自身の心に平穏をもたらし、人生をどれほど豊かにするか、どうぞ忘れないでください。それは、関東学院大学という場所で、学んだ皆さんだからこそ、実現できることだと思っています。

どんな時であっても、皆さん自身が心豊かで、喜びとぬくもりを感じられる人生を送ってほしい。そう、心から願っています。そして10年後、20年後、30年後、40年後に関東学院大学に在籍していてよかった。そう思っていただけるよう、私たちもまた、皆さんの傍に寄り添い続ける存在でありたい、そう思っています。

私からの最後の言葉です。皆さん、卒業、修了、本当におめでとう。必ずまた、お会いしましょう。

 
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