山﨑 稔惠

人間共生学部
共生デザイン学科
教授

基本情報

専門分野 服飾美学、西洋服飾史、アートマネジメント
研究テーマ 18世紀イギリスの芸術と服飾に関する歴史的・美学的研究
最終学歴 お茶の水女子大学大学院家政学研究科修士課程 修了
学位 家政学修士
研究キーワード 服飾、芸術、ウィリアム・ホガース、扇、横浜スカーフ

細部に宿る大きな意味に魅かれて

 私の学生時代は、まだまだ西洋へのあこがれが強い時代でした。私自身も「欧州に行ってみたい」「欧州についてもっと知りたい」という気持ちを強く持っていたんです。そんな学生時代に、西洋美術の研究者として著名な森洋子先生(現・明治大学名誉教授)の講義を受ける機会がありました。先生の「美術史」の授業で、18世紀英国を代表する画家ウィリアム・ホガースに出会ったことが、その後、研究者の道へと進んだときに大きな意味を持つようになりました。

 私の研究は、絵画や文学などの作品に描かれた服飾描写を通じて、服飾と人間の関係をさまざまな角度から考察しようとするものです。そもそも過去にどんなものを身につけていたのかということを知るのはとても興味深いことですね。しかもそこには、着る人がいれば、それを見る人がいるわけです。図像や文献の中に描写された服飾は、その服飾とそれを着る人間に対して作家が抱いている服飾観のあらわれにほかならないのだろうと思うのです。そうしていろいろ見ていくうちに服飾品のなかでも、特に扇に関心を持つようになりました。「扇」というのは日本由来の折りたたみ式の扇のことで、つまり扇子です。

 きっかけは、ホガースの「一日の四つの時、朝」という作品でした。これは当時、テムズ河南岸にあった社交場から依頼を受けて制作されたもので、ほかに「昼」「夕」そして「夜」があって4点で構成されています。冬の、まだまだ暗い朝のロンドン、コヴェント・ガーデンの喧騒のなかを、ただ一人、盛装した老淑女が閉じた扇を口元にあてながら歩いている姿が見られます。繰り返し、繰り返しホガースの全作品集を見ているうちにある日ふと、この女性が持つ扇の表現性にハッとさせられました。周囲の光景に注ぐ彼女の視線は好奇に満ちていながら、気づかれぬよう隠す心の動きを垣間見たのです。ひと言でいえばそこに漂う空気は「気取り」でした。この気取りの視線を感じさせるものは何だろう。そのとき直観的に扇ではないかと思ったのです。

 全体の装いからすれば、扇は小さな部分にすぎない装身具です。服飾史でも従来、項目が記載される程度で大きく取り上げられるようなことはありませんでした。しかしその扇に持ち手の心の内を読んだという感動が以後、装身具のような小さな服飾へと関心を向かわせることになりました。小さいがゆえに密かに想いを忍ばせることができる。また付加物であるがゆえに自由に大胆にある気分をたのしむことができる。その心の深淵に立ち、イメージのなかの服飾について考えることの面白さに取り憑かれていったのです。

 16世紀に西洋で用いられるようになった扇子は18世紀になると材質も多様化し、身分を問わず大衆化していきます。また、たんに淑女の装飾品としての役割だけでなく、さまざまな使われ方がされるようになりました。その使われ方に問題があるとして風俗批評や詩などを世に出す文人らもおりました。例えば、「扇言葉」と呼ばれるものがありました。現代風に言えば、サインです。扇の動かし方でアルファベットの文字を表現し、他の人には聞かれたくない会話が扇に隠して交わされました。また、扇面にダーツボードを描き、実際に矢を放って占いに用いたり、帽子に扇を入れて籤(くじ)にしたり、と。扇に着目することで、当時の生活文化の一面が見えてきます。

 18世紀の英国は、産業革命前夜の時代です。新しく変わろうとするエネルギーに満ち満ちていました。衣服素材も麻や毛織物が主流だった時代から、東インド会社を通じて、インド産の綿織物が多く輸入されはじめたのもこの時代です。綿布は扱いやすく、染めやすいため、人気の素材となりました。のちに産業革命を興起したのもこの素材です。しかし一方で、国内の織物産業を脅かす事態を招きました。そのため使用禁止法が発令され、経済史では「キャラコ論争」として知られています。またこのとき『ロビンソン・クルーソー』で知られる英国の作家ダニエル・デフォーが『イギリス経済の構図』の中で「パッション(感情)とファッション(好み)とは、とうてい支配できるものではない」とも述べています。キャラコにまつわる話ですが、人間の本質を韻を踏んだ一文ですっきりと語り、なかなか興味深いのです。

 18世紀の英国のことはまだまだ研究を深めないとわからないことがたくさんあります。それでいまウィリアム・ホガース研究にあらためて取り組み直し、新たに著書を上梓する予定です。ホガースが服飾を作品のテーマやモティーフにしていることはたしかです。それがどんなテクストに符合しているのか、その源泉はどこにあるのかということなどについてももちろん追っていきます。しかしもっと知りたいのは、そこに人々のどんな思いが投影され、ホガースは作品においていかなる意味や役割をそこに担わせようとしたのかということです。逆に言えば作品を享受する側にとって重要なのは、人間であるならば誰しも拭えない欲望、喜びや悲しみ、驚きや恐怖、快楽や苦痛に心を寄せ読み取ることではないかと思うのです。

 おこがましいことだけど、今を生きる私たちがそのような姿勢を日々の暮らしのなかでも持つことができたら、きっと未来への糸口も見出すことができるはずですから。

主要業績

    【著書】
  • (単著)『芸術と服飾 あやなす景色』関東学院大学出版会 2009年
  • (共著)『アーツ・マネジメント概論 三訂版』水曜社 2009年
  • (単著)『気取りへの視線 ひとつの服飾美学』関東学院大学出版会 2004年
    【学術論文】
  • (単著)「ドメスティック・クラフツと『センシビリティ』-‘Mrs. Delany and Her Circle’(New Haven & London, 2009-10)をめぐる新たな提起-」『アートマネジメント研究』第11号 2010年
  • (単著)「『乞食オペラ』と仮面扇」『アートマネジメント研究』第8号 2007年

服飾を捉えることは豊かな想像力を持ち、生き方を考えること

 「アートと社会」「ファッションから見た美術史」(2018年度からは「美術とモード」に名称変更)などの授業を担当しています。これらの授業を通じて、学生たちに生活文化に対する関心と愛着を持ってほしいのです。

 動物は衣服を身につけませんね。人間に固有のもの、人間だけに必要で欠かせないものです。ですからそれだけでも、衣服が人間にとって特別な意味を持っていて、興味深い問題を投げかけてくるものであることがわかります。「服装は人なり」とも言いますが、自分がありたいと思う姿を服飾品に託すことができます。また「纏い」「被り」「履き」「携え」という着衣行為が人間に働きかけてくることがあります。そうした人間と服飾との関係は、生活のなかで絶えず積み重ねてきた経験の、機微や肌理、また豊かな想像力があって捉えることが可能となるでしょう。そうした細やかな感情を育てていくことは、自分の生き方を考えることや他者を理解することにも通じていくと思っています。

 授業は、たんにファッションの変遷を説明するのではなく、色彩や文様が持つ意味などについても歴史的に考えてもらうようにしています。具体的な事例を上げながら解説しますが、それらを知識として、ただ暗記してほしいのではありません。そこから見えてくる普遍的な問題について考えてほしいのです。時代や場所が変わったとしても、人々の生活のなかには変わらないもの、求めてやまないもの、大事なものがあるはずです。そこに気づいてほしいのです。

学生たちとは教員という立場を越えて楽しさを共有する時間と、教え教わるという立場をわきまえて接する時間というようにメリハリをつけ、お互いを尊重し合える関係でいたいと思っています。そして、ともにここで学んだ学生たちには感動する心を失ってほしくありませんね。そのうえでしなやかに考え、きちんと分析できる人に成長してくれることを望んでいます。これができる人は、変化の激しい社会の中でも周囲に優しく目配りしながら、しかも流されることなく自分自身を持って生きていけるんじゃないでしょうか。

担当科目

  • 人間共生論入門
  • 共生デザイン入門
  • 教養ゼミナール
  • ゼミナール
  • 卒業研究
  • 衣の生活文化史
  • ファッションから見た美術史(2018年度から「美術とモード」に名称変更)
  • 博物館実習

横浜輸出スカーフの実物見本約12万点に導かれて

 横浜市経済局が保管していた輸出用スカーフの調査研究を2011年からスタートさせました。調査を開始してまもなく、日本輸出スカーフ等製造工業組合が1957(昭和32)〜1986(昭和61)年までに意匠認定したスカーフの実物見本であることがわかりました。45冊ある意匠認定台帳上では約15万点、そのうち約12万点が実在しています。戦後の輸出伸長に伴い、意匠権侵害が深刻化し、海外から特価品のレッテルを貼られたことが要因となって、1952(昭和27)年に意匠登録検査制度が制定され、意匠申請が義務化されました。その際に実物見本の提出が求められたのです。

 しかし残念ながら、その実物見本には100%シルクのものがほんとうに僅かしかありません。絹物関税の引き上げによる価格の高騰とか、アメリカの可燃性織物制定法による規制とか、さらには合成繊維の急速な開発などが、シルクスカーフの需要を減少させた原因としてあげられます。いま冷静に振り返って見れば、大量生産、大量消費へと舵を切った戦後横浜の産業界、高度経済成長期における日本の繊維業界、そして世界的にもこの時代の負の遺産を否定できませんね。

 とはいえ、現存するスカーフそしてそのさまざまな意匠は、政治、経済、宗教、文化等、歴史の観点から時代の証言者としての魅力をたっぷり備えています。私はよく「時代を映し、暮らしを照らす横浜輸出スカーフ」というふうに言っています。大半は外国意匠で、独立、外交、各種キャンペーン、クリスマス、新年、イースター等に関するもの、また地図、名所、民族の伝統的な文化、特産物等、観光に関わるものなどがあります。しかも、それをいつ、どこの会社がどんな柄名で申請したのか、サイズや材質、加工会社名から輸出会社名、仕向けられた国まで意匠認定台帳に記録されています。そしてスカーフに捺された番号で照合することができるのです。これは世界的にも稀有なことです。

 そこで横浜市は2013(平成25)年に国の「平成25年度緊急雇用創出事業臨時特例基金事業」を活用して、膨大なスカーフ資料を整理し、意匠認定台帳の電子データ化、約33,000点を画像ファイル化し、データベース化をおこないました。ひじょうに画期的な取り組みであったと思います。大きな段ボール箱にスカーフがぎゅうぎゅうと詰め込まれていた状態を知っている私としてはとても感慨深く、工業技術支援センターの職員の方々のご尽力の賜物ですね。市民のみなさんにも是非、ご覧いただきたいと思いまして、毎年12月初旬から翌年1月初旬までの約1ヶ月間、シルク博物館の御厚意でスカーフの展示をさせていただいています。

 で、スカーフ業界の方々とお話することがときどきあるんですが、みなさんこれらのスカーフを前にされて、一様に感嘆の声を上げられます。かつては地場産業として知られた横浜スカーフのありし日の興隆をまざまざと見せつけられたような思いになられるんだと思います。日本のものづくりが危機に瀕している今だからこそ、横浜捺染の原点に立ち返って、ぜひ端正なものづくりでスカーフ産業の立て直しをしてほしいと思います。

 スカーフの調査は、横浜市の依頼に応じてスタートしたものでしたが、いつのまにかライフワークの一つになっています。横浜スカーフの源流を探っていたら、横浜開港とともに誕生した日本初の洋装絹物ブランド「椎野正兵衛商店」にたどり着きました。この商店が開発した色絵手巾がスカーフの原型と思われ、明治中期には世界の市場を席巻するまでになったと言われています。それに乗じて国内で生産がすすみ、手巾の輸出高は絹物輸出総額のなかでも群を抜いています。現在ではそうしたことから、二大貿易港として肩を並べる横浜神戸の絹物輸出について、その明治・大正史を追う取り組みもはじめています。

取材・原稿作成 関東学院大学広報課