2018年度卒業式・学位授与式 規矩大義学長式辞(全文)

関東学院大学から、今まさに、社会へと飛び立とうとしている皆さん。その皆さんを祝福するかのように、今日は素晴らしいお天気に恵まれました。

2018年度関東学院大学卒業生2135名、大学院博士前期課程ならびに修士課程修了生64名、博士後期課程修了生10名、そして専門職大学院修了生2名、合計2211名の皆さんに、いま、学位を授与することができました。皆さんは、本学が定めた所定の単位を修め、卒業、あるいは修了に必要な全ての試験、審査に合格したことで、それぞれの分野における学士、修士、博士の学位を名乗る資格があると認められたのです。本学での学びを通して、大きな成長を遂げられ、この日を迎えられた皆さんに、心よりお祝いの言葉を贈りたいと思います。

また、本日、ご臨席くださいましたご父母の皆様、この度はご子息様、ご息女様の卒業、修了、そして学位取得、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。これまで、お子様方をいつも暖かく見守ってくださり、あるときは励まし、またあるときは背中をそっと押し、物心両面にわたって支えてこられました皆様に、敬意を表するとともに、関東学院大学の教育理念にご賛同くださり、多大なるご協力、ご支援を賜りましたことを、心より感謝いたします。関東学院大学を代表いたしまして、厚く御礼申し上げます。長い間、本当にありがとうございました。

さて、卒業生の皆さん。4年前、私はこの同じ国立大ホールで皆さんに「大学4年間は社会に出る直前の大切な期間だけど、決して準備の時間ではない。学ぶことの意義、学ぶことの楽しさを知り、教養と知性を身につける期間である。そして、それは一朝一夕に身につくものではないが『学びたい』という真摯な気持ちに勝るものはない。その成果は必ず、皆さんの表情に表れるものだ」そう、お話しました。今日の皆さんの表情はいかがでしょうか。

「関東学院大学で皆さんは誰に出会い、何を見つけたのか」「関東学院大学で皆さんは何を得て、どのように変わったのか」その、本当の答えを見つける作業は、これからも続くと思います。

私たちも今、皆さんと過ごした時間を振り返っています。ここにいる皆さんの多くが、ゼミや研究室での活動、卒業研究や卒業論文、卒業制作を通して、多くの経験や出会いを得たことと思います。私たちも、講義を通して接するだけでなく、ゼミや研究室など日々の活動における、皆さん一人一人との結びつきをとても大切に思ってきました。この会場には、私の研究室を巣立つ、学部生、大学院生もいます。壇上に座る教員も、会場にいる教員も、パーティ会場で皆さんを待つ教員も、全ての教員が今日、多くの時間を過ごした学生たちを送り出すにあたって、4年間の出来事を思い起こしています。

高等教育機関として教育・研究環境を整え、皆さんの学びを支援することは大学として当然のことですが、同じ学問を志し、時間を共有してきた皆さんから、私たちは、大学人として、研究者として、人生の先輩である、ひとりの社会人として、その行動や言動を通して、信頼を得ることができたのだろうか。皆さんに、学問に対する情熱を伝えることができたのだろうか。何より「君たちと出会えてよかった」という気持ちが伝えられたのだろうか。まずは、私自身に問いたいと思います。

その上で、少しだけ厳しいことを言わせてください。「学生時代、真剣に学ぶことができた」「目標としていたことをやり遂げた」「目標に向かって走り続けた」と思っている皆さんは、それが学問であれ、別のものであれ、充実した学生生活を送れたに違いありません。これは素晴らしいことです。そして、これからも更なる飛躍を期待しています。

「学生の間に、もう少し学んでおけばよかったな」今、そう思っている人は、その評価は別にしても、おそらく自分自身の「4年間の学び」を客観的に、冷静に、見つめることができている人です。真剣に学ぼうとする気持ちがあるからこそ、あるいは、学びの大切さに気づいたからこそ「足りない」という言葉が、謙虚な気持ちとともに湧いてきたのかもしれません。

一方、ここにおられる皆さんのなかに「自分は社会に出てから本領を発揮するタイプだから」とか、「社会に出てからが勝負、これから挽回すればよい」そう思っている人がいるなら、どうか今一度、考え直してください。「これまでのことは一旦リセットして、心機一転がんばろう」その気持ちは私の経験からも痛いほど分かります。でも、それを楽観的に話している間は、何も進歩はありません。厳しい言い方ですが、もしそれで終わってしまえば、大学という環境で学ぶ意義が無くなってしまいます。大学での学びを選んだ皆さん自身を否定することになります。これは何も、「勉強」を意味する「学び」だけを指しているのではありません、教養も知性も、行動や態度も、皆さんの生きる姿勢も、全てにおいて「これから実力を発揮」では困るのです。

何度でもチャンスが巡ってくるのが人生です。しかし、その機会に甘えて、今を疎かにしていては、次の挽回のチャンスは巡ってこないかもしれません。「学ぶことを、少し疎かにしたかもしれない」もし、あなたが今、少しでもそう感じているならば、それは絶好のチャンスです。そのことを悔やんでみても、恥じてみても未来は拓けません。だから、それを忘れず、常に意識して、社会に出てからも、いいえ、社会に出たからこそ続くであろう「学び」と「次のチャンス」を、是非とも大切にしてほしい。そう思います。

なぜ私が毎年、卒業生の皆さんにこのことを強くお願いするのか。今日は、皆さんの卒業をお祝いする場ではありますが、少しだけ私の話をさせてください。

「大学生のときの私は本当に劣等生でした」このように話すと「どうせ演説用に、面白おかしく、誇張した例え話だろ」そう思われるかもしれません。決して不真面目を自慢しているわけではありません。今でも当時の同期と会って話をしたら恥ずかしくなりますし、両親にもずいぶんと迷惑をかけたと申し訳なく思っています。

1年間の浪人を経て、親元を離れ、大学生になった私は、当時、毎日が楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。学生寮には、全国から集まった同期だけでなく、2つ、3つ上に留まらず、6つも、7つも年上の大学院の博士課程の先輩までいる。そんな人たちと寝食をともにし、語り合ったり、遊びに行ったりする毎日に、何だか言いようのない充実感を覚え、気がつけば大学の講義は疎かになっていました。「だらけた」と表現する生活とは少し違うと、今でも言い訳をしているのですが、そのツケは当然、自分自身で払うしかありません。当たり前のように、3年生に進級できずに落第しました。

部活やアルバイト、友人や先輩との付き合いも楽しみ、勉強以外の部分では「とても充実している」と感じる生活を送っていましたが、大学の講義だけは、なかなか足が向かない。積み重ねがありませんから、授業に出ても十分に理解できないのです。何とか1年遅れで、4年生に上がる目途がついたとき、「これで卒業だ」と、私は結構、浮かれていたのですが、一番仲の良かった友人から、はっきりとした口調で「お前、このままじゃまずいよ。だって何も身についてないじゃない」と言われました。言葉は博多弁でしたが、笑いながらでもない、決して嫌みでもない、穏やかなその表情から「本当にまずいんだ」と、一瞬で悟りました。何とか単位を揃え、ただ学年が進んだだけ、学びに関しては、何も得ていなかったのかもしれません。今でもこの友人には、心から感謝しています。

丁度その年、後に、私の恩師となる教授が着任しました。厳しいと噂の研究室に入って、本気で勉強してみようと思いました。悲しいくらい勉強の癖がついていませんでした。それでも本気で勉強の真似事をし続けたと思います。気がつけば、学ぶことが好きに、知識が増えることがある種の喜びに変わっていました。いつ、どのタイミングで変わったのかは、実は私にも分かりません。ただ、今しかないと必死に何かを掴もうとしていたのだと思います。恩師は厳しいけれど、いつも研究者としての背中を見せ、学生の私たちを大人扱いしてくれました。言葉はきつくても、壁を乗り越えようとするときには、こっそりと手を差し伸べてくれるような人でした。そして若者のことがとても好きだったと思います。「この先生に恥ずかしい思いをさせてはいけない」「この先生に『できません』」という台詞を吐いてはいけない」研究室の仲間とそんな生活を続け、そして、その後、企業に入ってからも、大学に職を移してからも、30年以上、そう意識してきました。

あのとき友人が、声をかけてくれなければ、声をかけてくれたとしても、冗談のように「まずいよ」と言っただけだったなら、1年遅れの大学生活のタイミングで着任した恩師の、その厳しさのなかにある優しさが理解できなかったなら「どんな社会人のスタートを切っていたのだろう」と、今でも思っています。

目の前にいる相手に、優しい言葉をかければ、言葉をかけた側も、かけられた側も気分良く、悪い気持ちはしないでしょう。一方、批判や叱責、相手にとって厳しい言葉からは、穏やかな気持ちは、なかなか生まれません。特に、人づてに批判の言葉を耳にしたときなどは尚更、心中穏やかではないはずです。しかし、本当にあなたのことを心から思い、誠実に発せられた言葉であったならば、その言葉が例え、強く、重く、鋭いものであっても、それは、あなた自身にとって「愛のある言葉」だと感じてほしいのです。自分にとって都合のいいことだけを受け入れ「これは自分の本当の姿ではない」などと、自身を誤魔化すのではなく、心が痛む批判の言葉であっても、その言葉を真正面から投げかけてくれた相手に対して、それを拒絶するのではなく「ありがたい」と思うことで、そしてまた、その人の真意を汲み取ろうとする気持ちさえあれば、その言葉は「あなたの未来に繋がる言葉」になると、私は、私自身の経験を通して皆さんに伝えたいと思っています。

一方で、もし皆さんが、誰かに気持ちを伝えようと思ったときに、どのような言葉を発するのか、どのような姿勢で相手を慮るのか、そこで、皆さんの人間力が試されると思って下さい。「言葉」はとても大切です。それは友人を導くときでも、だれかに自分の愛情を伝えるときでも同じです。あなたが発した「たった一言」が、あなたと、あなたの周囲を幸せにすることさえ出来るのです。あなたに向けて発せられた、たった一言の真意に気付いたとき、あなたは一生、穏やかな気持ちで過ごせるかもしれません。「直接」であれ、「間接」であれ、相手を思う気持ち、「愛」を伝える、「愛」を込めることの大切さ、愛を持って受け止めることの大切さ、何度も言うと少し照れくさいですが、「愛の言葉」を、どうか大切にしてください。

今、ここにおられる皆さんの多くは、4月から社会人として、新しいスタートを切ることになります。これから社会に出れば、さまざまな困難に直面するでしょう。思い通りにならないことも経験するかもしれません。

自分が何をすればよいのか、何ができるのか、どう評価されているのか。分からなくなることだってあると思います。そんなときに「この世界は自分には向いていない」とすぐに諦めてしまうことは簡単です。「自分が想像していたような世界ではなかった」とすぐに見切りを付けることも簡単です。逆に、まだその世界を十分に見通せていないはずなのに「これなら自分は十分にやっていける」と勘違いする人もいるかもしれません。「小手先の器用さで切り抜けられる」とか「学びとは違う才能を発揮すればよいのだ」と、気を緩めてしまうかもしれません。そして、「自分一人で何でもやっていける」と思ってしまうのです。でも本当は、まだ、何も見えていないのです。

だから最初から「この程度か」と、決め付けるのではなく、慢心するのでもなく、どうか予断を持つことなく、学ぶ姿勢と努力を忘れないでください。私たちは、自分ひとりで生きているのではない、私たちのこれまでも、私たちのこれからも、誰かに生かされ、誰かを支えているのだ、ということに思いを馳せてください。

「大学で学んだことなど、社会では通用しない」

分かったようなことを言う評論家から発せられる言葉です。そうでしょうか。皆さんは、この関東学院大学で、単に知識や技術を得ただけではありません。愛のある言葉を聞き分ける心と、それを発してくれる友と、そっと手を差し伸べてくれる恩師を見つけたはずなのです。「学ぶこと」の意義「学ぶことの楽しさ」今、私はあえて「楽しさ」と申しあげたのですが「学び続けること」の大切さ、そして、人として「教養を身に付けること」の喜び、まさに、大学で「学びの本質」を知ったはずなのです。「大学で学んだことは通用しない」のではなく「大学で学んだこの本質こそ、皆さんが社会で生かすべきこと」なのです。

卒業を迎える皆さんは、自身の学びを顧みて、決して不安になる必要はありません。私たちはまだまだ学び足らないし「真の教養」とは、どこかで完結するようなものではありません。私たちは、これからも学び続けることでしか「真の教養」を身に付けることができないのです。だから、謙虚に、少しばかり身を小さくかがめて、しかし、どんなことでも学び取ろうという、少し貪欲な気持ちで、どんなことにでも挑戦してください。

想像してください。ちょうど水の中で、スポンジをぎゅっと硬く絞り、いつでも水を吸い込めるように待ち構えているような状態です。皆さんが手にしているスポンジには、知的好奇心という小さな穴を沢山、開けておいたつもりです。手のひらをそっと開けば、自ずから知識や技術を吸収することができるはずです。そうした気持ちさえあれば、自分が次に何をすべきか、何が出来るのか、何を学ぶべきか、見えてくる瞬間が必ずきます。それこそが、待ちに待った次のチャンスなのです。学びに気付く機会は必ず訪れます。タイミングがあるのです。そのとき皆さんが、それをチャンスと捉えて、少し語弊のある言い方ですが、「教養豊かになる自分が嬉しい」、「学べる自分が楽しい」と思ってくれることを期待しています。

本学の校訓「人になれ 奉仕せよ」という言葉には、いつの日か、今はまだ見えていないけれど、誰かのために、社会のために、何かが実践できるように、少しでも、それに足り得る人に近づけるように、謙虚に、学び続けなさい。そういう意味が込められていると、私は思っています。

それでも、自分の道に迷いが生じたときには、どうぞ遠慮することなく、いつでも大学の門をくぐり、私の、私たちの部屋のドアをノックしてください。いつでも私たちは待っています。いつだって、何度だって、皆さんがいくつになっても、それができるからこそ、皆さんは私の教え子であり、関東学院大学の卒業生なのです。このことだけは必ず覚えておいてください。

まだまだお話したいことは沢山あります。皆さん一人ひとりに、お伝えしたいことはいくつも残っているのですが、そろそろ時間になったようです。

どうか、関東学院大学で過ごした時間と、出来事の一つひとつを、思い浮かべてください。関東学院大学で蓄えた力を存分に生かし、未来に向かって、活躍してください。しかし、それにもまして、皆さん自身が、多くの友と、その思い出と一緒に、健やかで、心穏やかに、喜びと温もりを感じられる、豊かな人生を送ってほしいと、心から願っています。そして、十年後、二十年後、三十年後、四十年後、「関東学院大学に在籍していてよかった」そう思っていただけるよう、私たちもまた、皆さんの傍に、寄り添い続ける存在でありたい。そう願っています。

卒業、修了、本当におめでとう。私からの最後の言葉はお別れではありません。

皆さん必ずまた、お会いしましょう。

関東学院大学 学長
規矩大義(きく・ひろよし)

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