関東学院大学の建学の精神

関東学院大学の建学の精神

関東学院大学の建学の精神は、キリスト教の精神にあります。これは、キリスト教の精神(創造主への畏敬、無償の愛、対等な尊厳を有する存在としての他者の受容)に基づき、地球上の多様な生命への慈しみと敬虔、森羅万象に対する寛容と慈愛、それらの徳目を基本とした姿勢のもとで、他者を理解し共感することを可能とするための広く深い教養を修得し、他者のために行動できる奉仕の精神を涵養することを意味します。
さらに 、キリスト教の視点を通した西洋文明や文化の理解と敬意を、日本の伝統や文化の理解と敬意によって複眼的視点から統合させ、多言語、多文化、多宗教、多人種といった多様性の中での自己の確立と共生のための教養を身に付け、この教養を礎に、人のため、社会のため、日本社会のため、ひいては世界人類のための思考と行動とを循環させる営為を通して、次世代の社会を他者と共に創り上げる知識と智恵と行動する力を習得し鍛錬することを目指します。

校訓「人になれ 奉仕せよ」

関東学院大学の校訓「人になれ 奉仕せよ」。これは、関東学院の初代院長 坂田祐が第1期生の入学式で述べた言葉です。キリスト教の精神に基づき、生涯をかけて教養を培う人間形成に努め、人のため、社会のため、人類のために尽くすことを通して己の人格を磨く、というこの関東学院の教育方針は、長年にわたって継承されてきました。さらに、坂田は後年、この校訓に「その土台はイエス・キリスト也」という言葉を書き添えています。

関東学院大学は、国際化が進展し否応なく共生が標榜される現代の社会において、研究・教育機関としての真理探究に加え、キリスト教の精神に基づき、多様性と多元性を寛容と協調の心によって包み込み一致を志す人材の育成を今後も継続し、なお一層の進展をはかります。

精神の礎

港を見下ろす丘の上、わずか5人の学生とともに歴史をスタートさせたその日から、関東学院大学の学びの根底には、キリストの教えに基づいた奉仕の精神が息づいてきました。人に、社会に尽くすこと。それは、自らを成長させることにもつながっていく実り多き活動です。ほんの少しの興味から何気なく始めた小さなチャレンジが、いつしか確かな「活動」に変わる。そこにかけるかけがえのない喜びを感じるようになった時、自分の未来に、生き方に、大きな影響を与える何かを見つけたことに気づくでしょう。
「人になれ 奉仕せよ」
1919年の中学関東学院第1回入学式において、初代院長・坂田祐が高らかに謳い上げた校訓は、今も昔も変わることなく生き続けているわたしたちの精神の礎。より良き社会を築くための重要なエレメントです。
中学関東学院の初代院長である坂田祐は、ウィリアム・S・クラーク博士の薫陶を受けた札幌農学校出身である新渡戸稲造、内村鑑三より”Boys,be ambitious!”の精神を受け継ぎ、特に内村鑑三の門下に入って聖書を学びました。また、第一高等学校在学中、校長の新渡戸稲造からカーライルの「サーター・リサータス」(衣装哲学)の講義を聞き、「諸君は何かをしようとする前に何であらねばならぬかを考えよ。To doの前にTo beの問題をまず考えよ。」と教えられました。
学院の創立第一回の入学式には、キリスト教の精神を高く説いて建学の精神とし、これを具体的に表現するために「人になれ」と力説し、さらに「人のために、社会のために、人類のために尽くすこと」を説き、「人になれ 奉仕せよ」を校訓としました。