研究報
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特集:健康と科学

2.クリアに聞こえる人工内耳をめざして

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INTERVIEW 02 クリアに聞こえる人工内耳をめざして
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簑 弘幸 MINO HIROYUKI

理工学部 理工学科 健康学系(2023年4月開設)

学位:博士(工学)
専門分野:生体医工学、人間情報科学

人工内耳の抱える問題を解決したい

聞こえ方の障害である「難聴」は、空気の振動を伝える体の器官である「外耳」「中耳」に不調をきたした場合に起こる「伝音性難聴」と、振動を電気刺激へと変換する器官「内耳」の不調を由来とする「感音性難聴」の2種類に大きく分けられます。特に「感音性難聴」は今の医学では機能回復が困難と言われており、補聴器によるサポートにも限界があります。そこで登場するのが「人工内耳」です。人工内耳は、音を増幅する補聴器とは違って音を電気信号へと人工的に直接変換します。変換後の信号を内耳にある「蝸牛」という器官へ埋め込んだ電極へと送り込むことで、文字通り人工的に内耳の働きを担っているのです。

しかし、人工内耳を装着したからといって、すぐに音を聞き取れるようになるわけではありません。言語聴覚士(ST)と呼ばれるスペシャリストから受けるトレーニングによって、半年~1年くらいで徐々に音を理解できるようになると言います。「なぜ長期に渡るトレーニングが必要なのか。それは現在の人工内耳が『本来の音と同じようには聞こえない』という課題を抱えているからです。だから今はトレーニングによって脳に音を覚えさせる必要があるのです」。理工学部の簑弘幸教授は人工内耳が抱える課題の解決をめざし、人間の聴神経が持つ不思議な振る舞いを数理モデル化する研究を進めています。

聴神経が生み出すゆらぎをモデルで再現する

人間の聴神経は、同じ音を入力しても毎回一様な感じ方をしている訳ではありません。「例えばサイン波の音を聞いた時に聴神経がどのような応答をするか見てみます。すると同じ波形であっても、聴神経は毎回少しずつ違う反応を示すのです。反応が起こるタイミングが毎回微妙にブレますし、時には反応しない時だってある。このブレと反応の有無は、非常にランダムなのです。特に『時間的なゆらぎ』と呼んでいる個々の反応のブレは、我々が行う情報処理に重要な役割を果たしていると考えられています」。

簑の研究は、音響刺激によって聴神経が見せる「ゆらぎ」を再現する電気刺激を、シミュレーションを用いて逆算的にデザインするというものです。反応のブレ具合と反応を起こす数をそれぞれ変数として数学的に表し、これらの変数が合うような電気刺激を与えれば、きっと聴神経から音響刺激と同じような応答が出るに違いない、というわけです。「人間の聴神経の細かいところを測定できる機器はありませんし、研究を進めても完全に音を再現することはできないでしょう。しかし数値化したモデルがどんな応答をするのかを詳細に調べ上げることで、聞こえ方を知るための一定の見通しは立てられるようになると思っています」。

人にも機械にも、さらに動物にも優しく

聴神経の振る舞いを逆算することで、人工内耳が音をちゃんと再現できる電気刺激を生み出すという簑の研究は、2つの“優しさ”を兼ね揃えています。一つは実験動物への配慮です。生理学的な研究において動物実験は大事な手法ですが、研究の進展が実験動物の命と引き換えになることも少なくありません。「その前に、できることがあるはず。計算機によるシミュレーションで、行いたい実験の見通しを立てることができます。そうすればやみくもに動物の命を奪わなくても良くなります。実験動物に優しい生理学研究手法、という役割もあると思っています」。そして、もう一つが消費エネルギーです。「一般的に行われている電気信号への変換法と比べて、私たちが行っている変換法(Rate & amplitude modulation)の方が電気エネルギーを食わないのです。装着感のない人工内耳を目指す上で小型化は避けて通れません。そのために、消費エネルギーはできるだけ少ない方が良いですよね」。

私たちの生活において、人とのコミュニケーションは欠かせません。その一端を担う「聞く」という能力は、心身の健康を考える上でとても大事な要素です。簑の進める研究が支える未来の人工内耳は、音を失った耳にどんな優しい音風景を再現するのでしょうか。

※本記事は2022年9月に作成したものです。